北海道なのに広島?

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北海道はかつてアイヌの人々が暮らす「蝦夷の国」でした。その名残で、道内の市町村名の実に8割がアイヌ語に由来していると云われています。読みに漢字を後から当てているので、難読な地名になっていることがよくありますね。
そんなアイヌの楽園だった蝦夷に、本土からの入植が積極的に始まったのが明治時代でした。明治維新で落ちぶれた士族層や、離農した者などが新天地で一旗あげようと全国各地から蝦夷へと渡ったのです。いま北海道に暮らす人は、アイヌを除いてはほぼ明治時代の入植者の子孫ということですね。
さて、先ほど道内の地名はほとんどアイヌ語由来と言いました。残りの2割に、見慣れた地名となっているところがあります。札幌市と新千歳空港の間に広がるなだらかな丘陵地帯にある「北広島市」もそのひとつ。「北海道なのに広島?」と初めて地図で発見した時は不思議でした。それもそのはず。ここは明治17(1884)年に広島県人25戸103人が集団移住したことから始まった町なのです。開祖の和田郁次郎にちなんで当初は「和田村」となる予定でしたが、出身地にあやかって「広島村」となったそうです。道内にはほかにも、奈良県新十津川村出身者による開墾地「新十津川町」、仙台の伊達藩出身者による開墾地「伊達市」など、開墾者ゆかりの地名が残されている場所があります。
広島村はやがて人口も増え広島町となり、平成8(1996)年には北広島市と名称が変更され市制に移行しました。市の木は「かえで」。これは北海道と密接な関係を持つカナダの象徴・メープルと、広島県の市木がもみじであることから制定されました。
ところで、広島村→広島町→北広島市に変遷するなかで、何故「北」の名称が急に付いたのでしょうか?これは市に移行する際に、広島県広島市との混同を避けるため、あえて北広島市と名付けられたようです。しかし実は国鉄の駅は1926年(大正15年)の開業時から「北広島駅」の名称を使用していました。地元の人には昔から「きたひろ」と呼ばれ馴染んでいた名称だったのですね。
開村から約130年。北広島市は交通網や都市機能も整備され、発展した都市に変貌しました。
ここは北海道農業の父・クラーク博士がかつて「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の名言を残したゆかりの地とも言われているそうです。広島人のパイオニア精神とクラーク博士のフロンティア精神は、この平成の世の北広島市民にしっかりと受け継がれているようです。